人生は終わりなき旅。「死んでもこれで満足だ」というのはない。 1/4(藤川富次さん)


天草出身の先輩方にランチをご馳走になりながら
成功の秘訣を聞くコーナー
『先輩!ゴチになります!!』

第4回目はこの方にお話をお伺いしました。

interview-200812-fujikawa

天草産業株式会社 代表取締役 藤川富次さん

聞き手 天草元気プロジェクト 青木・平田・佐伯
取材日 2008/12/02
取材場所 藤川さんのお宅(八王子市)

藤川さんは倉岳町出身で天草高校卒業後に上京。
八王子を中心に欧米・北欧住宅の販売の会社を経営なさっています。
現在の状況なども踏まえていろいろお聞きしました。

最初は藤川さんのお宅にて、奥様と高校の同期であり、天草産業株式会社の 営業部にいらっしゃる坂本さんとお話を伺いました。

人生は終わりなき旅。「死んでもこれで満足だ」というのはない。 1/4(藤川富次さん)
人生は終わりなき旅。「死んでもこれで満足だ」というのはない。 2/4(藤川富次さん)
人生は終わりなき旅。「死んでもこれで満足だ」というのはない。 3/4(藤川富次さん)
人生は終わりなき旅。「死んでもこれで満足だ」というのはない。 4/4(藤川富次さん)

少年時代の天草と「ばんから」な高校時代

佐伯 天草出身の方で、こちらで実績を出されている方に『先輩、ゴチになります』というテーマの企画で、ご馳走になりながら、勉強をさせていただこうというずうずうしい企画です。今日はよろしくお願いします。

藤川 いいね~!(笑)

青木、平田、佐伯 よろしくお願いします。

佐伯 早速なんですが、お生まれになったのはどちらですか?

藤川 倉岳の大宮田という場所だよ。

佐伯 いつくらいまでいらっしゃったのですか?

藤川 中学校は倉岳中学、高校は天草高校で、それからこっちにきたんだよ。 両親が大学行かなくていいから、家業を継げということからなんだけど。

佐伯 ご両親は東京にいらっしゃったんですか?

藤川 そうそう、僕らの兄弟3人と、祖母と一緒に天草に住んでいたんだ。

佐伯 ところで天草にいらっしゃるときは、奥様も坂本さんも、藤川さんとはもともとの知り合いではなかったんですか?

藤川 高校のときの知り合いではないよ。

坂本 高校の時には接点がなかったけど、出てきてからね。

佐伯 出てきてからというと、同窓会ですか?

坂本 そうそう。

藤川 さかもっちゃんが声をかけてくれた。

佐伯 当時の天草で覚えていらっしゃることはありますか?

藤川 よく魚釣りは親父と行ったよね。うちに親父は漁師でもないくせに魚釣りが大好きでね。和船に帆をはって、今で言うヨットみたいなね。幼稚園くらいのころから、それに乗って行ってたよ。うちの前って海が穏やかで何でも釣れるんだよ。だから春夏秋冬。一番記憶にあるのはイカをたくさん釣ったことだね。 何十キロも釣ったことがあるよ。 あとトラフグとか釣ってたらふく食べたよ。

佐伯 だれか調理をしてですか?!

藤川 うちの親や祖父母が料理ができたから。

佐伯 へ~。

藤川 だから、タイも釣りに行ったし、いろいろ行ったよね。 冬になると、船の上から矛一本で魚をつくんだよ。 今は懐中電灯でやるけど、大潮のときに海中を明るくして、 ひらめとか、カニとか、アワビとかをつくんだよ。 一緒に行こうとかいわれるんれるんだけど、まだ小さいでしょ。 船に乗って行ってても、大体寝てるわけ。明け方になると おやじが籠いっぱい、背負ってるんだよ。

佐伯 へ~。

藤川 だからアワビとかそんなのを腹いっぱい食ってたよ。 ワタリガニとかね。 魚は釣りに行ってたし、夏になると、毎日海に泳ぎにいっていたし、 当時は波止場が石垣だったんだよ。
たまに本渡に行くときには、船で行くか、バスで行くか。 小学校のときに、本渡に3,4ヶ月入院していたんだよ。 キリシタン墓地の下にある病院に。 今は駐車場になっている。。。寿屋だったかな?

佐伯 以前の寿屋ですか?

青木 あ~あの駐車場になっていた。

藤川 半年くらい入院していたのかな?

佐伯 病気か何かですか?

藤川 よく覚えていないけど(笑)、足を手術したんだ。 そのとき、船に乗っていったんだ。布団かついで。 大門から馬車で、病院まで行ったのを覚えているよ。
馬車に布団を載せたのを覚えているけど、(奥様が)馬車なんてないって 言うんだよ。

佐伯 大門口っていう地名がありますけど、港だったんですか?

藤川 そうそう、港。

佐伯 え?今まったく港ではないですね。(笑)

藤川 いろんな船の終点だったんだよ。 昔は港に直接船をつけることができなくって、小さな船にうつって ろをこいで港に入ってきていたよ。もちろんバスもあったけど。
小さいころ、冬になるとおばあちゃんと湯治にいっていた。 船で、八代や水俣、鹿児島に行っていたね。 そのときに、黒豚とか、かつおの味噌煮なんかをよく食べていたね。

佐伯 へ~

藤川 あとうちのおばあちゃんは信心深かったから、あちこちのお寺や神社に 1週間くらい、掃除したり、花を生けたりというのとしょっちゅうやっていたよ。

佐伯 へ~、昭和30年代に生まれた方のお話じゃないように感じます。(笑)

藤川 そんなことをしていたのは、たぶん俺しかいないと思う。(笑)

佐伯 奥様は年齢はご一緒でいらっしゃるんですか?

奥様 3つ下です。

佐伯 小さいころは同じような感じでしたか?

奥様 (天草下島のご出身であるので、)下島はまったく違いましたね。(笑)

全員 (笑)

藤川 そういう慣習とかないでしょ?

奥様 馬車とかを聞いたことないですよね。

坂本 ないね。

佐伯 うちの両親からも聞いたことがないですね。

藤川 船でいろんなところに行ってたから、楽しかったよ。

奥様 船もあまり乗らなかったですね。

青木 じゃあ、下島の方がまだ発展しとったんですね。(笑)

全員 (笑)

佐伯 本当にはじめて伺うことが多いですね。

藤川 いろんなことをしてたけど、小さいころからよく家の手伝いはやっていた。畑をやったり、田んぼをやったり。学校から帰るとすぐね。

佐伯 へ~

藤川 小学校2年生くらいのときから、お前の炊くご飯はおいしいねといわれて いたよ。お米研いで、薪でご飯炊いて、そこまでが俺の仕事だった。 牧場に牛のせりにもいったし、いろいろなところに連れて行ってもらっていたよ。

佐伯 なんだか倉岳に興味が出てきました。

藤川 倉岳は言葉がね、たぶん室町時代か何かの言葉のままだよ。だから古典なんか勉強しなくても大丈夫。

全員 (笑)

藤川 上島はそういう感じみたいだよ。

佐伯 そういえば、僕も上島の方の話を伺うのは、初めてです。

藤川 倉岳の中でも、俺が生まれた宮田は独立しているんじゃないか?(笑)

全員 (笑)

佐伯 藤川さんのところだけがそうだったということじゃないですか?(笑)

藤川 (奥様に)彼女もいうけど、大宮田の人が話をするのってとんちが利いてるんだよね。おじいちゃんでもおばあちゃんでもしゃべるときに、ちょっと一ひねりしてしゃべる。普通のしゃべり方はしない。笑いをとるわけじゃないけど。

奥様 そうですね。なんだかユーモアがあって面白いんですよ。 五和から嫁いで、会話のやり取りが違うな、と思いました。

青木 五和はどがんやったとですか?

奥様 漁師町ですからね。結構荒いしストレートですよね。

佐伯 ところで、倉岳から天草高校に進学されたときというのは下宿か何かで?

藤川 男子寮にいた。

青木・佐伯 うわ~ (インタビュアの青木、佐伯ともに同じ天草高校出身)

全員 (笑)

藤川 寮長をしていた。

全員 お~

藤川 2年生のときから、親友と一緒に先輩に指名されて。

青木 寮生ってある種独特の・・・

佐伯 そうですね。。。

藤川 そんなことないよ。

全員 (笑)

藤川 僕らのときは、学年400人くらいいたな。 厳しかったと思ってたんだけど、いろいろやってたね。
1年生のとき寮で夜中1時ごろ、先輩がおなかがすいたっていうんで、 近所の中華料理屋にいって餃子ライスか何か食べてたら、奥に教科担当の先生がいるわけ。 当然夜中で歩いちゃだめだったから、先輩が、「藤川やばいぞ。」と言ってた。全然食べた気がしないんだよね。
次の日の授業のときにその先生が、俺の横を通り過ぎるときに、 「藤川、夕べは餃子はうまかったか?」とボソッと言うわけ。

全員 (笑)

藤川 うそみたいでしょ!そんなことがあったのよ。よく。

佐伯 やんちゃですね。(笑)

青木 当時の天高って、まだ済々高の分校だったころの名残というのは、あったんですか?

藤川 いや、全然ないね。

青木 済々高の流れでいうと「やんちゃだけど、勉強もできる」というイメージがあるので。

藤川 そういう意味でいうと、「ばんから」だったよ。

佐伯 「ばんから」ですよね。

藤川 俺たちは、「月月火水木金金」だったよ。日曜なんかなかったよ。(笑)
学校が始まる前は課外授業で、7時間か8時間の授業のあとで、1,2時間勉強していたよ。土日は課外授業か模擬テストがあった気がする。

青木 それだけ勉強して、「やんちゃ」もしよらしたっですか?

藤川 もちろん!(笑)

坂本 さて、話も盛り上がってきたところだけど、そろそろ食事にいこうか?

青木、平田、佐伯 よろしくおねがいします。