苦労を買わないと将来はない 1/4(若松孝市さん)


天草出身の先輩方にランチをご馳走になりながら
成功の秘訣を聞くコーナー
『先輩!ゴチになります!!』

第5回目はこの方にお話をお伺いしました。

interview-201011-wakamatsu

株式会社 東京美工 代表取締役 若松孝市さん(姫戸町出身)

美術監督をつとめられた映画
「はやぶさ 遥かなる帰還」
公開されました。
聞き手 天草元気プロジェクト 松村・福本・佐伯・井上
取材日 2010/11/29
取材場所 懐石・会席料理 いかりや(新宿区)

苦労を買わないと将来はない 1/4(若松孝市さん)
苦労を買わないと将来はない 2/4(若松孝市さん)
苦労を買わないと将来はない 3/4(若松孝市さん)
苦労を買わないと将来はない 4/4(若松孝市さん)

「応援団で鍛えられた事が基礎になった」

新宿のいかりやさんで美味しいお酒を頂きながら、お話を伺いました。

天草元気プロジェクト(以降AGP):今日は宜しくお願い致します。

若松:どこの出身なの?

AGP:私、本渡です。

若松:あんたら都会から来てるんだね。

AGP:でも、もうこっち来て25年以上経っています。
中学まで姫戸にいらっしゃったと聞いていますが?

若松:うん。

AGP:どちらの学校を卒業されたんですか?

若松:姫浦小学校から姫戸中学校を卒業した。姫浦小学校の2年生か3年生のころ合併して、姫戸町になった。
おれたちのころ、姫戸から高校は大体、八代行くか本渡なんだよ。
うちのおふくろの実家が八代だったんで、八代はよく知ってるし、行きたくないと(笑)。
天草でいうと本渡なんだけどね。あと、熊本商業の分校、松島商業高校かな。
でも、天草から取りあえず出たい。おれの人生、そこからスタートしたわけだ。
おやじがそのころ、いろいろ事情があって大阪へ出ていくことになっていたんだけど、
おれは熊本市内の学校へ行きたかったから、「行かねえ。熊本に残る。」と決めたんだ。
もう一つ、熊本だったら、おじが国鉄マンだったというのと、
親はもともとおれを公務員にしたいってことで、熊本第一工業高校の鉄道科に入るんだったらいいって言って、
それじゃあ、おれそこ行くって言って。

AGP:そうなんですか。

若松:鉄道科ってめったにないからね。そこ行くと、大体国鉄マンになる。おれの同級生はほとんどが国鉄マン。
今は民間になったけどね。そして、その高校の応援団長だったんだ。

AGP:体育会系ですね。

若松:熊本市内でブイブイ言わせてやってたわけ、応援団だから。
高校のころは寮に住んでたんだけど、福岡や長崎、壱岐なんかからも来ていて入学当初は108人ぐらい入寮したんだよ。 だけど卒業するときまで残ってたのは18人。

AGP:えっ。寮を出たってことですか? それとも学校もやめた?

若松:とんずらこいたやつもおりゃあ、いろいろ。

AGP:6分の1ぐらいですか。

若松:東大より難しいよ(笑)。

AGP:本当だ、倍率高いですね。

若松:学校へ行ってる授業中が一番、安泰の時間だった。

AGP:寮に帰れば、縦社会が待ってるってことですか?

若松:学校の授業終わった途端、応援団が始まるから。

AGP:ああ、応援団。

若松:地獄が始まる(笑)。そして、ああ、終わったと思って寮に帰ったら、また地獄があるわけ。

AGP:理不尽社会ですね。

若松:理不尽社会。理不尽っていうか、もう軍隊。
しかも姫戸弁を使ったら殴られる。

AGP:ばかにされるじゃなくて、殴られるんですか。

若松:殴る。お前、なんちゅう言葉使ってるんだ。標準語でなきゃ駄目だってね。

AGP:え!熊本弁じゃ駄目なんですか。?

若松:駄目、駄目、駄目。寮も。

AGP:寮でもですか。

若松:それが今考えてみるとやっぱり将来のことを考えて言ってたんだな、先輩たちは。

AGP:そういうところに出ていくんだからという。

若松:そうそう。それである時、黒いスーツを指して、これ白だよなって先輩が聞くんだ。
幼稚園生だって黒だって分かる……、あ、白じゃないって。でもハイと言うしかない。
でもそんな小さいことでいちいち逆らうなと。

AGP:小さいことで。

若松:うん。はい、はいって言っときゃあ、そのうち、そういう意味だったんだなっていうことが後で分かるわけだ。

AGP:それを16ぐらいからたたき込まれているわけですね。

若松:そうそう。

AGP:普通、社会に出てからたたき込まれていくことを。

若松:そうそう。だから、親元離れしてるんだよな。 そこでの経験が一番おれの基礎になってる。

AGP:熊本第一工業高校。県内指折りのパンチの効いた学校ですね。

若松:そう。おれたちのときは、生徒が4,000人近くいたんだ。

AGP:団塊の世代ということで、子供多かったんですね。

若松:親はどうしても国鉄マンになれと。公務員になれということで、鉄道科があったからそこへ行かされた。
おれの中学の同級生と「お前はどうする?」って話していて、
「おれは一高行ってシメるから、お前は鎮西行ってシメろ!」って(笑)。
両方行って、頑張った。

AGP:なんか天草っぽいですよね、そういう。島国根性って感じがやっぱりあるんですよね。

若松:そう。最初はさ、何だ、あんなとこから出てきやがって偉そうにってなるわけだよ。
それで闘いが始まるわけだよ。

AGP:もうちょっと具体的には、まず同級生をどうやってシメていったんですか。
まずガチンって行くわけですよね、入学して。

若松:入学して、クラスで、「何や、ぬしゃは」って来るわけだよ。

AGP:「ぬしゃ」ね。「お前」のことを「ぬしゃ」って言いますね。

若松:「何や、ぬしゃって。かかってこいよ」って言って。そして、おれがバーンと……。

AGP:机か何か、いすか何か、こう。

若松:机をひっくり返して、「かかってこい。おれからは殴らないから、お前からかかってこい」って

AGP:オーっ!

若松:来いよって言ったら、おれにかかってこれねえんだよ。

AGP:もう映画の世界じゃないですか。威嚇で勝ちですね。

若松:今でもそいつとは付き合ってる。でね、何でおれがあのときかかってこいって言ったのに、
かかってこなかったかと聞いたら、若松だけは何か知らんけども……って。

AGP:(笑)勢いが強かったんですね。
そういう高校時代を過ごされて、今に至るまでの流れをお聞きしたいんですが、
鉄道科を出られて、次は?

若松:公務員になれという感じだったね。
それで当時は国鉄と私鉄、大体ほとんど同級生はそうなんだよ。
だけどおれは「行かない」と。

AGP:「どうして?」と思われませんでしたか?

若松:どう見てもおれに公務員は合わねえだろう(笑)。
勉強はもうしたくなかった。出世するのに昇進試験受けて。
「おれ、そういうところは性に合わない。」って言ったらそしたらおやじが怒ってね。

AGP:なりますよね。

若松:それで大阪が本社の中山製鋼という、上場企業に校長推薦で行ったんだよ。

AGP:へえー。それは応援団が買われてとかですか。

若松:そう。応援団長をやっていたから、卒業するときには、校長が料理をいっぱい出して、 クラスのみんなでお祝いしてくれたんだ。

AGP:へえー、すごい。粋な校長ですね、また。

若松:酒はないけどね。

AGP:はい(笑)。その校長先生の推薦で中山製鋼に。

若松:うん。中山製鋼に何で行ったかというと、新しくストリップ工場を造るということだったから。

AGP:ストリップ?

若松:製鋼っていうのはね。高炉があるわけ。高炉があるところって日本にいくつもないわけ。
ストリップ工場ってのは、圧延する工場で、言うならば、自動車の鉄板とかを作る。
いろいろな工場があったんだけど、そのストリップ工場って工場は新しく第1期生になるわけだ。
1期生は先輩いねえからいいじゃねえか(笑)。

AGP:(笑)一番好きなところですね。

若松:それで行った。もうおやじにこれ以上迷惑かけられないって。
名古屋にある工場で2年ぐらい働いていたんだけど、その当時ね、すごいいい会社だったんだよ。
中山はね、学校とか病院とかも、いろいろそういう施設も会社内にある、すごく優秀な会社だった。
でもね、名古屋の片田舎でおれの一生決まらせたくねえなって。

AGP:それから「美術の世界」へ?

若松:2年働いて辞めて、ちょっと失業保険もらってたんだよ。
勤めているときに胃腸の調子が悪くて、しらべたら十二指腸潰瘍があって、
療養がてらや休んでたんだけど、そのとき色々考えて、会社を辞めるって言んだけど、
会社側は、「えー、うちの会社を辞める?」っていう感じでね。
いい会社だったから、正社員で入ってきて辞める人間があまりいなかったみたいだけど、
「男に二言はない」って。

AGP:男、武士に二言はなしですね。

若松:とはいえ、やることを決めていなかったから、とりあえず失業保険でももらっとこうかって。
給料6万ちょっとぐらいもらってたかな。

AGP:35年ぐらい前ですか。

若松:そうね。3カ月ぐらいぷらぷらしててさ。
そろそろ何かやらないかんなと思ってたんだけど、
インテリアの仕事がしたいなって。

AGP:もともとお好きだったんですか、インテリア。

若松:そうそうそう。

AGP:今の映画の美術とは関連は?

若松:美術とは限らないな、インテリアだから。

AGP:デザイン的なものがお好きだったんですね。

若松:そうそうそう。

AGP:何となくつながってきてますね。

若松:もともと、ほら、センスがある(笑)おれ、中学校のときに美術部だったんだよ。

AGP:でも、高校のとき、応援団長じゃないですか。

若松:中学のときは野球部と美術部だった。ちょうど美術部の先生が野球も見てて、
お前、美術辞めろって(笑)。あんまり向いとらんって。

AGP:えーっ。

若松:もう野球を一生懸命やれと。「うるせえな」と思ったんだけど、
野球で疲れたときは美術部に行って、適当にやってるのがよかったわけよ。 石膏とかね。だから一応、中学のときは美術部。まあ、メインは野球だよ。

AGP:先生、見る目ないですね。

若松:まあ、野球の方が大事だったから。野球、おれキャッチャーとサードやってたんで。

AGP:いろいろやってくれるから、頼りになるんですね。

若松:そうそう。頭よくなかったけどな。

AGP:そういうきっかけもあり、インテリアの仕事に?

若松:何てことはない。職安に行って、「何か仕事ない?おれ、こういう仕事したいんだ」って。

AGP:まだ全然景気もいい頃ですよね。

若松:うん、そうそうそう。おれたちのとき、高校卒業する時は1人頭4社ぐらいの募集があったからさ。

AGP:ああ、すごい。

若松:うちの高校。

AGP:へえー、今じゃ考えられない。 選び放題ですね。

若松:選び放題。で、インテリアやりたいって職安に出したわけ。
そうしたら、こういうのどうですかって。しかも、入ったら支度金とかで職安からくれるわけ。

AGP:えー。

若松:当時で20万くらいくれたよ。

AGP:へー。3カ月分ぐらいってことじゃないですか。

若松:支度金貰って、今度は京都の太秦連れていかれて。それで、関西美工っていう会社だったんだ。
今はないけどね。そこ行って、おれの思ってる仕事と違うけど、まあいいかってやり始めたわけ。

AGP:どういう会社だったんですか。

若松:装飾の会社。

AGP:撮影の小道具を選んだり、飾ったり。

若松:うん。

AGP:家とかお店とかっていう。

若松:そうそうそう。

AGP:でも、太秦ですから、やっぱり映像系なんでしょう?

若松:うん、もちろん。

AGP:映像の装飾。大道具さんが建てた後にいろいろ置いていく。小道具さんでもないけど、装飾の。

若松:小道具みたいなもの?

AGP:そうですね。

若松:大体ね、あまり知られてないよね。装飾って結構大変なんだよ。

AGP:いやいやいやいや、そういう意味じゃないです。

若松:一番最初にやったのが『水戸黄門』だよ。
装飾、小道具っていうのは、印ろうとかあのつえとか刀とか。

AGP:そうですね、持つ物。

若松:いや、持つ物だけじゃなくて、居酒屋だったら、居酒屋を作らなきゃならないわけ。

AGP:じゃあ、小道具はそっちで、装飾は大体こういう飾り。

若松:装飾の中にみんな入るわけ。

AGP:なるほど。

若松:だから、そういう意味では時代考証から何から何まで全部やらなきゃならないわけ。

AGP:はぁ~、それはすごいですね。

若松:そんな感じで会社にはいったんだけど、おれ2年ブランクあるわけだ。
そのころ会社には高卒が多かった。そうすると、おれに偉そうに言う同級生がいるわけだよ。
「おい、若松。あれ、お前どうなってるんだ」とか。

AGP:先輩なんだ。同級生だけど……。

若松:先輩。

AGP:先輩風を吹かすわけですね、年は一緒でも。 嵐の予感がします。

若松:「おい、こら」って言われて。だけど最初は分かりましたってやってたよ。
腹の中で、「てめえ、今に見てろ、おれが使ってやるわ」って思ってた。
でもおれの本当にやりたいこととはちょっと違うから辞めようとも思ってた。

AGP:『水戸黄門』?

若松:そう、テレビの仕事ってことだね。

AGP:テレビの。

若松:違うなあと思って、そのころはもう辞めようと思った。
3カ月経ったら、一応ね、また失業保険もらえるんだな。勤めりゃあ。
3カ月経ったら辞めようと思ったの。でもね先輩がむかついちゃってさ。
先輩っていったって同じ年だよ。
「お前、この野郎、おれがちゃんと仕事したらお前に負けるわけがねえだろう」
って思って、意地で残っちゃったわけ。

AGP:今、辞めると負け犬みたいでしゃくだから。

若松:おれがこいつにしっぽ巻いて逃げるようなこと出来ない。
太秦でまたケンカばっかりだよ。おれにかかってくるやつが多いんだ。
何か知らんけどさ。照明とか、大道具とかむかってくるから。
その度に奥に連れていっちゃ、ばこばこやってた。
それで、おれに付いたあだ名が怪物くんだよ(笑)。
お前、おれを誰だと思ってるんだと。応援団長で昔頑張ってたんだよって。
その頃体鍛えてたから(笑)懸垂も20回以上出来ていたよ!

AGP:うわー、すげえ。

若松:ばか野郎っていうんだよ。

AGP:今はどうですか。

若松:今は1回も無理。(笑)
そうやって辞めずに仕事していたら、半年ぐらいたって、
「若松、お前責任者やれ」って監督に言われたんだ。

AGP:責任者? その美術のですか。

若松:それは装飾の責任者。

AGP:腕を買われたんですね。

若松:半年もたたないうちにいきなり責任者だよ、とんとん拍子すぎるだろう。
いや、無理ですよって。いきなり時代劇やれって、半年後に時代劇の、装飾の親分できるか?

AGP:21~22才ですよね?

若松:それからは「若松ー」って監督がいつもかわいがってくれて。それで酒飲むときはいつも監督の隣だ。 上座だよ。「おらおら~」って思ってたよ(笑)。

AGP:生意気盛りですね。(笑)

若松:それで『巌流島』の宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いのシーンがあったんだよ。
おれの先輩に聞くと、佐々木小次郎は小紋の草履を履かせてくれって。

AGP:小紋ですか。

若松:監督は、「武蔵はわらじなんだ。草履じゃなくて、わらじを履かせてくれ」と。
監督が言おうが、何しようが、おれは「小紋の草履でいく」って言って。
でも、やっぱり「わらじにしてくれ」って監督は言うんだよ。

AGP:監督は。

若松:先輩が言うから、おれは正しいと思ったし、裏切らねえぞと思って、小紋の草履にした。
紋が入った小紋の草履。そうすると、まだ監督がわらじに変えてくれと言ってきた。
「それでクレーム来たとき、迷惑するのはおれなんだよ」と言った。

AGP:責任者ですからね。

若松:そう。それでも監督は、ある大物俳優を呼んで、
「以前、映画で撮影した武蔵のときどうだった?」って聞くんだ。
そしたらその大物俳優は「うーん、忘れました」って(笑)。
その人は映画『宮本武蔵』をやったばっかりだったんだよ。
おれは当時21歳だった。監督との関係もある大物俳優が「忘れました」って言ったら、
それ以上の何もないわけだろう。大物俳優は中立に立ってるわけだ。

AGP:そうですよね。

若松:じゃあ、どっちが正しいんだって。おれは若干21でそんな中でも闘っていた。

AGP:そのときはどういう判断になったんですか?

若松:最終的に、監督が「クレームの1本でも来たら、おれが辞めるから、
頼むから、わらじで」っていうことになった。
だったら、しょうがない、今回はそうしようって言ってやった。

AGP:で、どうだったんですか。

若松:ん?

AGP:クレームは来ましたか?

若松:いや、何も来ない。 (笑)

AGP:仕事に対するこだわりとはいえ、監督に対してそこまでいう21歳。傍若無人ですよ。