苦労を買わないと将来はない 2/4(若松孝市さん)


天草出身の先輩方にランチをご馳走になりながら
成功の秘訣を聞くコーナー
『先輩!ゴチになります!!』

第5回目はこの方にお話をお伺いしました。

interview-201011-wakamatsu

株式会社 東京美工 代表取締役 若松孝市さん(姫戸町出身)

美術監督をつとめられた映画
「はやぶさ 遥かなる帰還」
公開されました。
聞き手 天草元気プロジェクト 松村・福本・佐伯・井上
取材日 2010/11/29
取材場所 懐石・会席料理 いかりや(新宿区)

苦労を買わないと将来はない 1/4(若松孝市さん)
苦労を買わないと将来はない 2/4(若松孝市さん)
苦労を買わないと将来はない 3/4(若松孝市さん)
苦労を買わないと将来はない 4/4(若松孝市さん)

新宿のいかりやさんで美味しいお酒を頂きながら、お話を伺いました。
時代劇の装飾のお話を伺っているところからです。

「田舎育ち、姫戸に生まれたから、役立ってることはいっぱいある」

若松:時代劇のセットを飾ってみろって言われても飾れないだろう?

AGP:全然飾れないです。今と全く違うでしょうし。

若松:例えば「あいくち」ってわかる?

AGP:あいくち?

若松:あいくち。「ヒ首」って書くんだ。

AGP:ヒに首。ドスのことですか?

若松:そう、ドスのこと。最初、これ何て読むんだ?と思ってね。

AGP:ですよね。

若松:時代劇用語。例えば、刀一つ見たらね、階級が分かる。

AGP:もしかして刀の柄(つか)のなどでですか?

若松:そうそう。

AGP:面白そうですね。

若松:あとは鞘(さや)を見ると分かる。

AGP:鞘もですか。

若松:そう。今で言うとスーツ見たいなイメージ。スーツは物によってぜんぜん違うでしょう?

AGP:はい。

若松:浪人なんか大体そこら辺の安物を持ってるから、ちゃんと合ってないわけ。
生地もよくない、デザインもあわないブレザーとズボンみたいな。
ちゃんとしたお武家さんは、真っ黒の蝋色塗りの刀になっているとか、
それなりの柄とか鍔(つば)とか、そこら付近を見るといい刀か悪い刀か分かる。
刀はぜんぶ一緒だと思っていただろう?

AGP:思っていました。

若松:紐の結び方一つだって、気が狂うぐらい難しいよ。
たかだか小道具だって思うだろうが、一番難しいんだ。

AGP:たかだかなんて思っていることはないですけども。今でも調べようと思ったら、難しいですよね。

若松:箱結びとか、いろいろな結び方があるんだ。
先輩が帰った後にちゃんと結んでいる刀を、1回ピッて引っ張ると、
それでぽろぽろとほどけるんだけど、戻らないんだよ(笑)。
ある日、先輩に「教えてくれ」って言ったの。
そうしたら「お前に教えるぐらいだったら、おれは昼寝してる、ばか野郎」って(笑)。
でも、結べないんだよ。それぐらい網目がややこしい。
だから、ひもの結び方一つからすべて、いろいろなことを覚えなきゃならない。

AGP:自分で覚えたんですね。

若松:うん、誰も教えてくれない。最近はみんな「教えてくれなきゃ分かんねえ」とか言うタコどもがいるんだよ。

AGP:タコどもが・・・(笑)。

若松:仕事は、ちゃんと盗むっていうのがテーマなんだよ。

AGP:見て覚えろ、盗んで覚えろっていう。

若松:それが、応援団のときの……。

AGP:理不尽。

若松:そう、応援団のときの理不尽さでおれは耐えたんだよ。やってやろうじゃねえかっていう。

AGP:本当、その理不尽は子供のときはすごく嫌でしたが、やっぱり役に立つというか。世の中、基本的に理不尽だから。

若松:そうだよ。だから、今、映画の美術やってるけど、田舎育ち、姫戸に生まれたから、役立ってることはいっぱいあるのよ。

AGP:姫戸に生まれて役に立ったことですか。

若松:だって、山と海があるでしょ。その中でいろいろな知恵を出してきた生活の知恵っていうものを自分は味わってきてるわけだね。
そこから、熊本市内の高校の応援団で鍛えられた。そういうことが、いっぱい役立ってる。

AGP:ところで、テレビドラマのその時代劇から映画への転換期ってどこかあったんですか。

若松:テレビドラマを1~2本やったら、もう楽勝だなと(笑)。

AGP:楽勝だと?

若松:例えば、越後屋。
反物問屋とか廻船問屋が出てきたりしても、「そんなの楽勝だよ」って。
本当に覚えるの早かったな。楽勝だなって思い始めた途端に、会社の社長から「若松、東京行かねえか?」って。

AGP:当時、太秦。まだ京都ですよね?

若松:そのとき120~130人ぐらいの会社だったけど、おれ百二十何番の社員番号だったんだよ(笑)。
おれの上に百何十人いたわけだ。それで社長が「若松、東京行かねえか?」って。
「いつから?」って聞いたら、「明日からだよ」って。
「明日からは無理だろう」って。今でも覚えてるね。
その時に付き合ってた彼女がいて、実は5月の連休中に会う約束してたんだよ。
4月末だったから、「それはないだろう!」って言って、「行かねえ」って言って。
それで社長に「大阪の梅田の飲み屋とか、いろいろ借金あるし無理だ!」って
中山製鋼のときは6万円もらっていたけど、この会社来たら、3万いくらだったしね。

AGP:えー。半分になっていたんですね。

若松:金じゃねえとおれは思って転職したんだけど。
そのとき、社長が「いいよ、飲み屋の金払っとくから」って。
俺も「えっ、本当?」ってことで東京行きが決定。(笑)

AGP:ドラマみたいな話ですね。

若松:本当? そのとき20万ぐらいあったと思うんだけど、飲み屋のツケが。

AGP:もうちょっとしっかり飲んでおけばよかった。

若松:そう思うでしょう。 結局何のことはない「払ってあげるの20万」は、
それからの給料で毎月天引きされてたんだよ(笑)

AGP:笑

若松:それでまずはTBSでやるってことで東京に来たわけだ。
TBSで当時16ミリフィルムで撮ってたドラマを始めた。

AGP:ドラマを?時代劇から現代劇ですか?

若松:一番最初にやったのが、『ヨイショ』っていう渥美清さんと松原千恵子さんが主演のテレビドラマだったんだけど。
今でも覚えてるけど、あのセットがね、今まで組んだことないようなセットでパニックのシーンだった。
例えば、デパートの食堂あるじゃない、高島屋とか巨大な昔の。あんな食堂でさ、爆破とか。

AGP:えっ、すごい、スケールが。

若松:爆破物仕掛けられたんで大騒ぎになってるとか、ぐっちゃぐっちゃでさ。
調理場は和食、洋食、中華とか、そういうセットで、その当時、作ったわけよ。

AGP:なんでもありですね。

若松:右往左往だよ。それを二人でやってたんだ。

AGP:しかも、爆破みたいなセットだったら、1回作っても、ワンカットで……。

若松:爆破はなかったんだけど。でも、その百何十人ぐらいのお客さんがぐわーって逃げる。
あいつら何でもむちゃくちゃしやがる。その後、開店前のシーンとか撮るわけ(笑)。

AGP:逆?!

若松:役者のスケジュールで。

AGP:そうなんですね。
ちなみにその当時はまだバリバリの20代ですね。

若松:うん。その後は金ドラとかやってて。一番有名なのは、『想い出づくり』とかかな。
まだ、柴田恭兵さんとかまだデビューしたてのころ。

AGP:へー。

若松:あとは田中裕子さん。

AGP:そこではもう美術監督ですか?

若松:いや、装飾。

AGP:美術監督はまた上にいて、装飾のチーフなんですね。

若松:いやドラマには美術監督なんかいないんだよ。

AGP:えっ、いないんですか!?。

若松:デザイナーと装飾なんだ。デザイナーっていうのは、大枠を担当するだけ。
だから、そこのところをこれはこうしろ、こうしろって。
図面も何も要らない。おれが全部やるからってほとんど仕切ってた。

AGP:全部。

若松:その後、大泉の東映撮影所の岡田会長と知り合いだったから、
どうしてもこっちも面倒見てくれないかって言われた。
そこが毎年、毎年、赤字でしょうがないわけだよ。
いよいよ緑山で会議開かれることになったんだけど、そのときの立場はヒラ社員か係長くらいだった。

AGP:まだヒラですか。

若松:20代だからヒラか係長ぐらいだよ。先輩は「あんなところ行きたくねえな」っていうヤツばっかり。
「そう。だったら、おれ行くよ。」
「えっ、若松行くの?」
「あんたら誰もやらねえんだったら、何とかしなきゃなんねえ。 会社として何とかしなきゃなんねえ。おれが行くよ」って。
で、陰では、「若松、行かない方がいいよ、大変だよ」って(笑)。
「大変なときは何とかしなきゃいけねえだろうって。いいよ、いいよ」って。
そのとき、TBSとかのディレクターとかも「行かないでくれ、いなくなると困るんだけど」っていってたけど。
「うるせえ」と思ってね。

AGP:かっこいいなあ。

若松:で、行ったんだよ。そうしたら地獄だよな。

AGP:地獄ですか、案の定。

若松:あり地獄のような。

AGP:若松さんが地獄って言うのはすごいですね。なかなか、今までの話で地獄は出てきてなかった。
寮生活でも地獄は出てこなかった。

若松:そう、オレのつらさっていうのは、実は学生時代のつらさよりも上回るか上回らないかが基準。

AGP:基準なんですね。

若松:案の定、365日のうちに360日ぐらいは働いたな。

AGP:うわー。

若松:1日18時間はざら。

AGP:盆、正月もない。地獄を引っくり返せば、そのぐらいになりますよね。

若松:で、赤字を出したわけだ。だいぶ赤字だった。
だったら、うちが責任取らなきゃしょうがないから、おれが責任取るよって言って。
いろいろ契約問題とか、おれが絡んでいないところで、うちの先輩たちがでやってたわけだよ。
でも、それでも行ったんだから、おれの責任だよ、責任取るよって言って。
おれに散々文句言う先輩もいたけど、そのときのうちのおやじと同じ年の社長が、
「若松、お前が悪いわけじゃない、何とか頑張ってもうちょっとやってくんねえか」って言うから、
じゃあ、もうちょっと頑張ろうかって言って、首の皮一枚でつながった。
AGP:漢気ですね。

若松:誰かがやらなきゃ道はできねえんだよ。

AGP:そのときに、「若松、お前が悪いんじゃない」って言った社長は、さっき大阪の借金を天引きしていた社長ですか。

若松:そうそう(笑)。

AGP:でも、社長も漢気ありますよね。

若松:おれにね、気を使っていたんだ。応援団長をやってたのも知ってたし、こいつは、大体・・・。

AGP:自分が呼んできたっていうのもあるわけですね。

若松:今度はその長となっていったから、数字から何から全部やらなきゃならないわけだ。
管理面から営業も。そこまでできるかって疑心暗鬼だった。でもやるしかないから、やった。
後日、社長が「お前、そこまでやってたのか」って、今度はびっくりされちゃって。
おれを誰だと思ってんだよと(笑)。

AGP:(笑)では、整理しますが、それが大体何歳ぐらいですか。

若松:29。

AGP:29。まだ30前。